【著者プロフィール】
はじめに 2016年、日本。
・2016年年、日本。その分岐点
・筆者の立場
・日本と海外のシンクロ
・「個人的な」作品の拡張と変容
・『君の名は。』と『この世界の片隅に』―― 世界や事実は果たして唯一なのか?
・1980年代と2000年代、自主制作の二つの世代
・『聲の形』――「私」が「私たち」となった時代に
・デジタル化以後の表現を探る
第1部 「伝統」vs「部外者」――環境の変化
1 長編アニメーションの場合
・21世紀、長編アニメーションの時代
・大規模作品―― CGアニメーションが全世界に広がる
・小規模作品――個人制作長編の流れ
・中規模作品(1) 巨匠たちの新たなステージ
・中規模作品(2) グラフィック・ノベルとアニメーション・ドキュメンタリー
・中規模作品(3) アメリカン・インディーズ
・「部外者」による小規模作品
2 短編アニメーションの場合
・短編アニメーションのドラスティックな変化
・2000年代の「伝統」(1) 「自主制作」と「アニメーション作家」
・2000年代の「伝統」(2) DVD、ミニシアター、そして「アート・アニメーション」
・2000年代の「伝統」(3) 映画祭文化が支える「アニメーション作家」の世界
・「部外者」の歴史(1) ドン・ハーツフェルトとインターネット
・「部外者」の歴史(2) 動画サイトとSNSが作る「第三」の歴史
・動画サイト以後の新しい歴史観
インターミッション 21世紀のモード――「私」から「私たち」へ
・「大人」向けアニメーションが描く「私」の世界
・「私」vs「世界」の図式と、その終焉
・アニメーションの「ゾンビ化」
・2010年代の小・中規模作品(1)―― 深みのある「私」から、空洞の「私たち」へ
・2010年代の小・中規模作品(2)―― 棒線画としての人間
・2010年代の小・中規模作品(3)――「私」でも「普遍」でもない「中間」の存在
・2010年代のディズニー・ルネサンス―― 無数の「私たち」を呑み込む方法論
・新海誠はいかなる意味で「ポスト・ジブリ」なのか
・21世紀のモード――『コングレス未来学会議』
第2部 空洞と空白のイメージ――表現の変化
1 デジタル時代の孤独な「私たち」
・匿名の運動が辿り着くところ
・異質な何かがうごめく
・「外部」が消えていく
・自分自身の檻から抜け出すことができない
・生命が邪魔になるとき
2 空洞化するイメージとファジーな「私(たち)」
・象徴としてのアニメーションはその背後に意志を隠している
・空洞化する「私たち」にはあらゆるものが流れ込む
・ファジーな現実、ファジーなアニメーション
・デイヴィッド・オライリーの「野生」のアニメーション
・「私たち」は自分自身の夢を見る
3 YOU ARE EVERYTHING
・空洞は万物を呼び込む
・空洞を埋めつくす無数の吸着点
・フリーズと再起動によって浮かび上がってくるもの
・他人の痛みを宿らせる
・無に浮かぶ抽象的な「あなた」が「私」を「私たち」にしてくれる
おわりに 再び2016年、日本。そして2017年。
・アニメーションの変化とは「私たち」の変化である
・『君の名は。』――「私たち」を効率的に救う
・『この世界の片隅に』――「私」の時代の瀬戸際
・『聲の形』――さわがしい「私たち」へ
・2017年の新たな一歩―― 湯浅政明
・空白にざわめきを見出す
あとがき
【著者プロフィール】
土居伸彰 (どい・のぶあき)
1981年東京生まれ。株式会社ニューディアー代表、新千歳空港国際アニメーション映画祭フェスティバル・ディレクター。ロシアの作家ユーリー・ノルシュテインを中心とした非商業・インディペンデント作家の研究を行うかたわら、AnimationsやCALFなど作家との共同での活動や、「GEORAMA」をはじめとする各種上映イベントの企画、『WIRED』での連載等の執筆などを通じて、世界のアニメーション作品を広く紹介する活動にも精力的に関わる。2015年にニューディアーを立ち上げ、『父を探して』など海外作品の配給を本格的にスタート。国際アニメーション映画祭での日本アニメーション特集キュレーターや審査員としての経験も多い。2016年12月に初の単著となる『個人的なハーモニー ノルシュテインと現代アニメーション論』(フィルムアート社)を上梓。同書で日本アニメーション学会賞2017を受賞。